インテリアデザイナー 竹内三ツ木の  日本近代建築紀行
 
Vol.201



開智学校(松本市)

松本は、私にとって青春の十数年を過ごした思い出の町であり、大好きな建物がいくつかある事で心休まる町でもある。その中の一つに旧開智学校がある。国宝松本城の陰に隠れる様に建つこの建物は、松本市の観光コースに入ってはいるものの松本城程の賑わいはない。
この建築物は1876年竣工した。設計施工共に地元の棟梁立石清重である。彼はこの仕事を受注してから、西欧の建築文化が波涛の様に押し寄せていた東京や横浜を回り、洋風建築を数多くスケッチし、ドアーの取手やステンドグラス等の輸入品も取り寄せている。
しかし、小屋組は日本建築伝統の和小屋とし屋根は日本瓦葺きとした木造二階建てのこの建物は全体的には日本建築である。日本式屋根の上に乗った西洋風の鐘楼はこの建築物の象徴であり、その上にそびえる風見の中間にある十字に交差する棒の先に東西南北の文字を付けたのは学校である為であろうか。
玄関の真上の二階バルコニーの屋根は唐破風であり、この軒に「開智学校」と書かれた幕を掲げる向かい合った二人のキューピットが彫られているのには、微笑ましさを感じる。本来はマグサの強度を取るために煉瓦や石を積み上げて造る窓のアーチや建物の隅を補強する為に大きな石を積み上げる四隅のコーナーストーンは全て漆喰で少し盛り上げペンキで塗られ、力学的な物とは全く無関係になっている。これは煉瓦や石積みよりもむしろ白黒の色彩からか、日本の海鼠壁の変形にも見える。彼と当時の人々に取ってはそのデザインさえあれば良かったのであり、それが当時のハイカラであったのである。
 
代々棟梁の家に育った当時四十七歳の彼と彼の仲間達にとっては、建物を造る事に関しては絶対的な自信があり、様式建築の意匠も技術も無視し、何にでもペンキを塗りたくる西洋建築は、技術的にはむしろ軽蔑していたのかも知れない。
建築も含めて全ての西洋の文化が押し寄せ、文字通り文明開化に沸き立つ中で、見よう見まねではあっても新しい物は何でも吸収し、平然と取入れていく彼らの創作意欲に先ずは敬意を表する。この建物は1961年に重要文化財に指定され、現在の所に移築される1964年までの九十年の間現役で使われていた。
そして、今燃える様な紅葉に囲まれて漆喰の外壁は白く白く輝いている。
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